2017年8月28日月曜日

羽田孜元首相 「政権交代可能な政治」に生涯を捧げた“ミスター政治改革”

 平成5年6月18日、宮沢喜一内閣不信任案が可決された直後、国会を出る羽田孜元首相の車に同乗させてもらったときのこと。自動車電話が鳴り、羽田氏が受話器をとった。

 「いいんだ。君の事情はよく分かっている。それより本当の戦いはこれからだ。一緒に頑張ろう」

 相手は自民党羽田派に所属していた木村守男衆院議員。政治改革法案の成立を断念した宮沢内閣に対し、羽田派は野党提出の内閣不信任案への賛成を決定。不信任案可決の前提は羽田派の衆院議員36人が賛成することだったが、木村氏は欠席にとどまった。「申し訳ありません」と繰り返す木村氏に温かい言葉をかけ、鼓舞する羽田氏。その人柄と政治改革への情熱を象徴する場面だった。

 「政権交代が可能になれば政策本位の政治になり、緊張感も生まれる」と訴え続けた。同年7月に非自民連立の細川護煕内閣が誕生し、政治改革法も成立。衆院選に小選挙区比例代表並立制が導入された。

 その後は自民党に対抗し得る政党作りに全力を注いだ。6年に羽田内閣が窮地に追い込まれると総辞職の道を選び結果的に首相指名選挙で敗れた。野党に転落した際に「総理でいたいという気持ちはこれっぽっちもなかった。政権交代の流れを止めてはいけないという一心での決断だったが社会党の行動が誤算だった」と語ったのを覚えている。

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http://www.sankei.com/life/news/170828/lif1708280041-n1.html

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