2017年8月30日水曜日

被爆者ら、感謝と悲しみ

谷口稜曄さんの歩み

 身をもって知った核兵器の恐ろしさを最期まで訴え続けた人生だった。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の谷口稜曄さん(88)の訃報が伝わった30日、長崎の被爆者ら関係者は悲しみに包まれた。

 谷口さんが会長を務めていた長崎原爆被災者協議会(被災協)で昨年3月まで32年間、事務局長を務めた被爆者の山田拓民さん(86)は「病身を押して活動を頑張っていただいただけに亡くなったのは非常に残念。長年にわたって一生懸命、被爆者運動に努められたことに感謝したい」と話した。

 谷口さんは「核実験に抗議する長崎市民の会」でも長年代表を務めてきた。同会は世界各国が核実験をするたびに長崎市内で抗議の座り込みを続けている。1974年から始まった座り込みは、昨年9月に北朝鮮が核実験した時に通算401回となった。同会の世話人で被爆者の山川剛さん(80)は「その頃から体の具合が良くないと聞いていたが、体調不良を押して座り込みに参加してくれた。『核廃絶のために活動を続けていなければいけない』という決意を述べたあいさつが印象に残っている」と話す。

 また、2015年の平和祈念式典では被爆者代表として2度目の「平和への誓い」を読み上げ、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障法制の整備を進める安倍政権を痛烈に批判した。山川さんは「彼は先頭に立って言うべきことを言ってきた。被爆者、長崎市民の象徴のような存在だった」と悼んだ。

 谷口さんとともに核兵器廃絶を訴えてきた長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一(とよかず)会長(81)は「原爆で大やけどを負い、身をていして核兵器廃絶を訴えてきたリーダーであり、非常に残念だ。思いを受け継ぎ、谷口さんの悲願だった核兵器廃絶が実現するよう残された私たちが結束して頑張りたい」と語った。

 長崎市の市民団体「長崎の証言の会」事務局長で被爆者の森口貢さん(80)は「10年以上前に反核を訴えるために一緒に訪米した際、大やけどを負った後遺症で背中を飛行機の背もたれにつけられず、痛みに耐えながら搭乗されていた姿が印象に残っている。核兵器廃絶を訴えたいという意志が強く、今回も病気を治して復帰されると信じていたので残念。少なくとも日本政府が核兵器禁止条約に参加する日まで生きてほしかった」と語った。

 22日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪れ、核兵器廃絶を訴える署名を提出した高校生平和大使の派遣委員会共同代表を務める被爆2世の平野伸人さん(70)は、訪欧前の7月26日に高校生とともに長崎市内の病院で谷口さんと面会したばかりだった。

 被爆直後に背中の大やけどの治療を受ける谷口さんの写真を活動で使うことを報告すると、谷口さんはベッドに横になったまま「頑張ってくれ」と4回言ったという。平野さんは「一つの時代が終わったと感じ、ぼうぜんとしている」と語った。【加藤小夜、浅野孝仁、樋口岳大】


(毎日新聞)

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