2017年8月28日月曜日

非自民結集に心血=ミスター政治改革、乱世で短命-羽田元首相

初閣議を終え、記念撮影に納まる羽田孜首相(前列右から3人目)=1994年4月28日、首相官邸

 政局が大きく揺れ動いた1994年に非自民連立政権の首相を務めた羽田孜氏が死去した。首相在任は64日と短命だったが、政治改革を唱えて自民党と決別し、同党による長期一党支配の「55年体制」に終止符を打つ立役者の一人だった。首相退任後も非自民勢力の結集に心血を注ぎ、2009年の民主党政権樹立へ礎を築いた。

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 衆院解散か、総辞職か。首相就任からわずか2カ月後の94年6月、少数与党の羽田氏は窮地に追い込まれた。最大野党の自民党や連立を離脱した旧社会党などの多数で、内閣不信任決議案可決が確実となったためだ。

「新生党」の党名を掲げ、旗揚げ会見する羽田派グループ。前列右から2人目が羽田孜氏=1993年6月23日、東京都千代田区

 当時、政治改革関連法の成立で小選挙区比例代表並立制の導入は決まっていたが、区割りは未完成。解散すれば旧来の中選挙区で選挙を行わなければならなかった。「ミスター政治改革」と称された羽田氏は結局、「選挙制度改革を後戻りさせるわけにはいかない」との判断を優先し、総辞職を選んだ。北朝鮮核開発をめぐる情勢が緊迫し、政治空白が許されない状況でもあった。
 羽田政権では、与党の中軸だった旧新生党の代表幹事、公明党の市川雄一書記長の「一・一ライン」が実権を握り、「二重権力」との批判がつきまとった。退陣間際の羽田氏は「私の身は与党に委ねてある」と記者団に繰り返し、自らの進退さえ思うに任せない苦しさをにじませた。
 当選同期の小沢氏とは盟友の間柄だった。閣僚経験が豊富で政策に明るい羽田氏が「平時の羽田」、政局の節目ごとに剛腕ぶりを発揮した小沢氏が「乱世の小沢」と評された。自民党旧竹下派分裂から離党、細川・羽田両政権、旧新進党結成に至る一連の政界再編の流れでは常に行動を共にし、羽田氏が表の顔、小沢氏が黒子を演じてきた。

2000年の民主党代表選で再選された鳩山由紀夫代表(中央)を中心に握手を交わす羽田孜特別代表(右、元首相)と幹事長=2000年9月9日、東京都内のホテル

 新進党解党後、旧自由党を結成した小沢氏が小渕内閣で自民党と連立を組んだのに対し、羽田氏は非自民の立場を貫いた。旧太陽党などを経て98年の民主党結党に参加した羽田氏は、幹事長などを務め、寄り合い所帯をまとめるのに尽力した。(2017/08/28-16:32)

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