33歳で離婚を決めた彼女。義父のひどい言動が引き金となりました(筆者撮影)
「あの頃は若さもあって、正直なところ、結婚をなめてましたね。当時の夫がDVをやるようになるなんて想像もしていなかったし、何より夫の背後からあんなラスボスの『大魔王』が現れるなんて夢にも思っていなかったんです。今本当に離婚して良かったと心の底から思っています」
坂口麻美さん(仮名・現在36歳)は、勤務先に近い東京・銀座のカフェで、せきを切ったようにそう切り出した。
麻美さんが「大魔王」と形容するのは、どうやら元夫の父親、つまり義理の父のことらしい。麻美さんは、事あるごとに、この大魔王の存在に苦しめられた。
結婚生活は「地獄の日々」と振り返る
麻美さんは、同い年の川口和也(仮名・現在36歳)と26歳で結婚し、33歳で離婚。現在は、都内のWeb制作会社で、制作部の管理職として働きながら、シングルマザーとして小学生の娘の子育てに奮闘する日々だ。
栗色にしっかりと染まったセミロングの髪にウェーブのミディアムヘアは、シュシュで無造作に束ねている。飾らないラフないでたちが、逆に年齢よりもずっと若く見える。明るくバイタリティにあふれ、細やかな気遣いもできる、男女問わず、誰からも好かれるオーラの持ち主だ。
そんな麻美さんが「地獄の日々」と振り返る波乱万丈の結婚生活を追った。
麻美さんは、大学卒業後、教育関係の出版社の編集部に編集職として入社した。所属先の編集部は男性が多かったが、女性だからと言って特別扱いされることもなく、昼も夜もバリバリ働き、仕事はやりがいを感じていた。
毎週のように顔を見せる取引先の印刷会社の営業社員と、距離が縮まるまで時間はかからなかった。休日は取引先の会社と合同で、フットサル大会や飲み会が頻繁に行われ、そこで出会ったのが、取引先の営業の和也だった。和也は垢抜けなかったが、マジメで誠実そうな男だった。
「とにかくアタックが強かったんです。元夫とは大恋愛という感じじゃなくて、一緒にいると楽な人という感じでした。社会人になってから彼氏がいなかったので、このチャンスを逃したらいけないと思って付き合うことになり、向こうに押される形で、トントン拍子で結婚することになったんです。今思うと、あまりに急ぎすぎてどうかしていたと思うんですけど」
初対面で、嫁の心得を説く義父に唖然
付き合って、3カ月で結婚、そして、間を置かずに妊娠が発覚した。バタバタと結婚が決まったこともあり、和也の両親には、奇しくも結婚のあいさつが初対面となった。
和也の父は、元商社マン。初対面の麻美さんは、いすにふんぞりかえっている亭主関白な義父と、その後ろに隠れるようにして、おどおどした態度の義母の態度がやけに気になった。
結婚のあいさつが済むと、和也はのんきにも「このまま今日は、実家に泊まろうよ」と言い出した。ただでさえ、初対面の義理の両親との会話で緊張しているのに、麻美さんは、泊まるなんてもってのほかだと思った。
「いやだよ。気を遣うし、今日は帰りたい」。小声で押し問答が始まった。すると、それを聞いていた義父は突然「麻美、ちょっとこっちに来なさい!」と凄まじい剣幕で別室に麻美さんを呼び出した。
「まず、いきなり人の名前を呼び捨てって、『何なのこの人?』と思いましたね。うちの両親は、女性に対してそんな扱いをすることはないので、とにかく唖然としました。それで、いきなり『川口家の嫁たるもの、夫のいうことは絶対で、夫に逆らうことは許されない』と言われたんです。
もう信じられなかったですね。夫の名前の呼び方も改めろと、怒鳴られました。当時は、かずやん、と呼んでいたんですが、『みっともないと思わないのか! 自分の亭主なんだぞ!』と怒鳴られて、『すみません、和也くんにしますね』と言ったら、もっと怒られて、『さんづけしろ!』と言われてたんです。私は初対面のお義父さんにいきなり呼び捨てされてるのに、なんなの?とびっくりしました」
和也にその顛末を麻美さんが訴えると、和也は父親に立ち向かうどころか、いきなり「腹がいてぇ……」と言い始めてトイレに雲隠れした。居心地が悪そうに逃げ惑う和也の姿に、麻美さんは大きなショックを受けた。
当時は、妊娠初期。精神的にもナーバスになっていたこともあり、まったく予期していなかった義父の説教に、麻美さんは驚きのあまり、涙があふれてきた。悔しくて、惨めで、誰もいない物置に駆け込んで、一人で泣いた。
この結婚は失敗だった――。あんなお義父さんがいるんだったら、絶対結婚なんてしなかったのに――。妊娠までしちゃって、なんて私、バカなんだろう――。
麻美さんは、激しい後悔にさいなまれた。その日は、つわりを理由になんとか日帰りで帰ることを許してもらったが、帰りの電車でも、泣き続けている麻美さんを見て、「どうして泣くの〜?」とオロオロする和也の豹変ぶりに、死にたい、と気持ちがどん底まで落ちた。
帝王切開の出産に義父に「根性が足りん」となじられて
麻美さんは、結婚式に人一倍のあこがれを持っていた。幼い頃からのあこがれは、チャペルで真っ白に輝くウエディングドレスを身にまとった花嫁――。
ちまたにあふれる結婚情報誌を見るだけで心躍った。雑誌を部屋の中に積みあげては、式場やドレスに思いをはせる日々が続いた。麻美さんは物心ついたときから、教会式にあこがれていた。バージンロードの色は、何色にしようか、式場はどこにしようか、考えるだけで何時間もの時間が過ぎるのである。
あろうことか、そこにも義父がしゃしゃり出てきた。
「お義父さんの前で、『教会式で、ウエディングドレスがいいと思うんです』と言ったら、『言語道断だ』と返されたんです。『仏式じゃないと、恥ずかしくて親戚に顔向けできん』って。いや、貴族とかならわかりますけど、普通のサラリーマンの家庭なんですよ。結婚式って女の子のためのものじゃないの?と思いましたね。
夫はまったく味方になってくれなかった(筆者撮影)
まったく助け舟を出さない旦那にも腹が立つんです。『お腹の調子が悪い』と言って話し合いの場から、逃げ出しちゃって、40分くらい帰ってこなかったんですよ。そこで取り残されている私は針の筵状態で、最悪でしたね」
結局、結婚式を巡って、義父とは大紛糾。売り言葉に買い言葉で式そのものが取りやめになった。麻美さんが長年あこがれていた結婚式の夢は、潰えた。
「なんでこんなことになったんだろう?」という思いを抱えながらも、お腹は日に日に大きくなる。新婚生活は始まったばかりなのに、麻美さんは、毎日が寂しくて、これからが不安でたまらなかった。それは、これまでの人生で味わったことのないほどの絶望だった。
出産は、すんなりとはいかなった。陣痛が50時間を超えて、母子ともに危険な状態になったのだ。医師の判断で、緊急帝王切開となり、苦しみ抜いた末に、ようやく対面できた娘の顔を見たときは、うれしくて、涙が込み上げてきた。駆けつけた親類縁者も、ホッとした様子である。しかし、そこでも予想もしない義父の言葉が飛び出した。
「ハラキリしたのか! 最近の妊婦は根性が足りんなぁ〜ハハハ」
場が凍り付いた、と思ったのは、麻美さんの錯覚だった。和也は、その言葉を聞いていたが、父親に対して何も言い返そうとしない。気まずい空気が流れた。見かねた看護師の女性が困った顔で、「50時間の陣痛は、尋常じゃないんですよ。これ以上は赤ちゃんも、お母さんも危険だからオペになったんです。それは根性とか全然関係ないんですよ」と反論してくれた。
「私が傷つく言葉を言われても、守ってくれたのは、他人であるナースさんだったんです。自分の父親に何も言えない元夫を見て、悲しくなりましたね。ヘタレってこういうやつをいうんだと思いました。お父さんが怖い怖いという環境で育ってきたら、こうなるのかなと。絶対にこいつには頼れないって思いました。
あと、この義父の態度を見て、絶対に第二子は生まないって決めたんです。こんなお義父さんの子孫を一人でも増やしたくないと思いましたね」
手も繋ぎたくないほどの嫌悪
麻美さんは、出産後は退職したため、実質は和也の収入に頼る生活が続いた。麻美さんにとって、専業主婦生活はとにかくむなしいの一言だった。和也は、休日は法事だ何かと理由をつけて娘を連れて、実家に帰りたがる。しかし、実家に帰ると、大嫌いな義父とそんな父親に媚びる和也がいるのだ。
「元夫は、親の前では突如として良いパパになるんです。家でやらないという家事も実家だと手伝う。それで、お義父さんに『和也はイクメンだなー、甘いなー』とか言われて、うれしそうにニコニコしている。
私もそれにはうんざりして、『家ではこんなにやりませんよ』と思わず反論したら、『なんでお前はわざわざそういうこと言うんだ!』と怒られて、結局私が悪者になるんですよ。元夫は、親父の言うことが正しいということもあって、実家訪問の帰りはいつも喧嘩してましたね」
娘が生まれてからは、和也に触れられるのも嫌になるほど嫌悪感が募り、セックスレスとなった。
「結婚式でお義父さんと揉めたあたりから、急激に私のほうが冷めて、元夫とはしたくなくなりましたね。この人は、私のことを助けてくれないんだと感じると、まったく気持ちが乗らないんです。娘が生まれて以降、何回か体を求めてきたこともありましたが、嫌だとか痛いとか言って、拒否していました。
元夫に触られると、猫が毛羽立つようにゾゾゾと全身に悪寒が走ったんです。そのくらい嫌でした。手を繋ぐのさえ拒否していたくらいです」
当時は2LDKのマンションで、親子3人で寝ていたが、和也が布団に入ってくると、麻美さんは娘の布団に逃げ込み、和也とはいっさい肌を寄せ付けない日々が続いた。そんな麻美さんの態度に、和也は「セックスレスは、離婚の慰謝料の原因になるんだぞ!」と脅迫的な言葉を発するようになった。
和也の給料は、当時手取り約月25万円。その中から毎月3万円を和也にお小遣いとして渡していた。ある日、麻美さんは、給与の振込口座から、16万円が引き出されていることに気がついた。タンスの下からたびたびパチンコ雑誌が見つかったこともあり、麻美さんは、すぐにパチンコですったのかと、ピンときた。
帰宅した和也に問いただすと、和也は、「そうだよ! 俺だってストレスが溜まってんだ!」と、唐突にキレ始めた。そして、麻美さんの髪の毛を引っつかむと、突如として窓ガラスに叩き付けた。ガッシャーンと大きな音を立てて窓ガラスが割れた。それがDVの始まりだった。
「何が何だかわからなくて、状況を把握するのに少し時間がかかりましたね。ああいう瞬間ってすごいスローモーションなんですよ。ガラスの破片って、こんなにもキラキラと輝きながら粉々に飛び散るんだなーって、妙に冷静に眺めている自分がいましたね。それと同時に、もうこの人とは本当に終わったなーと思ったんです。
その後、すぐにわれに返ると、身の危険を感じて、『この人に殺される!』と窓の外に向かって大声で叫びました。深夜の1時を回っていたのですが、案の定、すぐに警察と近所の住民がドアを叩いてきたんです。私は救急車に乗り込んで、和也は警察に連行されていきましたね。離婚は最終手段だと思っていたんですが、もう、離婚するしかないかもと思い始めました」
なんと奇跡的にも、麻美さんは無傷だった。和也は、警察からすぐに解放されたが、その後、麻美さんの携帯に届いたメールには謝罪どころか、恨み節がつづられていた。
「お前のせいで、マンション中に謝りにいかなきゃいけない」
そのメールを見て、もう終わりにしなくては、と離婚を決意した。離婚するには、まず自分自身が経済的に自立しなければならない。娘は当時3歳だったが、事情を知った実母が全面的に子育てをバックアップしてくれることになり、麻美さんは正社員の仕事を探し始めた。
案の定、すぐにWeb制作会社のディレクションというポジションが見つかった。数年ぶりの制作の仕事は、とにかく楽しかった。何よりも、和也と離れるための経済力という自信がついたのが大きい。
トイレットペーパーの替えがないという理由で激怒
しかし、麻美さんが働き始めてから、和也のDVはますますエスカレートしていった。
ある日、麻美さんが仕事から、早く帰宅して家事を終え、一息ついていると、後ろから1.5リットルの炭酸飲料のペットボトルが頭の横をかすめた。何が起こったのか、麻美さんには理解できなかった。
「仕事から帰ってきて、私が先にくつろいでいた姿を見て、イライラしたみたいですね。一度キレると、スイッチが入ったかのように、止まらなくなっていろいろモノが飛んでくるんです。いくら、『ごめんね』と謝っても止まらない。怖くて、無言で娘を抱えて裸足で走って実家に逃げました。
友達に相談すると、『それってDVじゃない?』と指摘されましたね。怒った後は、横柄な態度を改めると謝るんです。『穏やかないい男になります』と念書を書いて、冷蔵庫に貼っていたこともある。でも、結婚生活を通じて感じたのは、人間はそう簡単には変わらないということです」
DVの原因はいつもささいなことだった。たとえばトイレットペーパーの替えがないという理由で、目の色が変わるほど激怒する。怖くなって逃げようとすると、「なんで逃げるんだ!」とスリッパが飛んできたこともある。麻美さんはそのため幾度となく、娘を抱えて家を飛び出し、実家やビジネスホテルで一夜を過ごした。翌日に帰宅すると「本当にごめん!」とまるで、別人のように平謝りする。和也は典型的なDV夫だった。
麻美さんは、そんな日々を何とかやり過ごしながら、自立して生活するための準備を着々と進めていた。離婚したら、何よりも先立つものが必要になる。そのため、親戚名義で隠し口座を作り、そこに自分の給料のほとんどを貯めていった。隠し口座の貯金が200万円を超えた頃、麻美さんはようやく、和也に離婚を切り出した。
「お宅の息子さん、返却します」
「無条件でいいから、別れてほしい」
そう切り出されたとき、和也は信じられないという顔をしたという。たじろいだ表情で、「これからの生活はどうするのか」と言う和也に、「子育ては、お母さんも協力してくれるし、私は正社員で働いているから、大丈夫」と説得した。
最初は拒否されたが、1年以上話し合い、和也が根負けする形で成立。義父に電話口で離婚を告げると予想どおり、電話口で激怒し始めた。それでも最後に、麻美さんは言いたいことがあった。
「『こんなことになってすみません。でもお宅の息子さん、返却します』って言ってやったんです。最後の最後にお義父さんのプライドを傷つけることを言いたかった。この瞬間を夢にまで見ていたんですよ」
それ以降、義父とは会っていない。
麻美さんは、新たな住まいを見つけ、実母と小学生の娘と3人で生活している。元夫に複雑な思いはあるが、父子の面会交流は自由にさせている。離婚してから、「大魔王」である義父との接触もなくなり、和也とも物理的に離れ、ようやく精神的にも平穏な生活を取り戻した。
現在、麻美さんは、仕事と家庭を両立させる目まぐるしくも充実した日々を送っている。仕事は多忙を極めるため、シングルマザーとしての生活は、実母の助けがなくては成立しないのが現実だ。それでもどんなに忙しくても、娘のために、食事だけは毎日麻美さんが作るようにしている。娘も懸命に働く母の姿を見て育ったせいか、最近はすっかり自立心が芽生えてきて、土日も勉強に課外活動にと忙しそうだ。
「離婚するまでは、『夫に就職した』と思うようにしていました。どんなに理不尽なことがあっても、経済的に依存しているから、耐えるしかなかったんです。そういう意味で、結婚生活は私にとってはめちゃくちゃつらかった。
今でも元夫は『自分が悪い』とまったく思ってないはずです。元夫にとっては、ただ言うことを聞くお人形さんが欲しいだけだったんですよね。それって義理の両親の家庭にそっくりだなと思いました。でも、男の三歩後ろをついていくような結婚生活は、私にはどうしても無理だったんです」
現在の仕事は、成果主義で男女の性差はまったくない。管理職はつねに責任が伴うということもあり、ときには仕事でつらいこともある。しかし、それでも「夫に就職」していたときとは比べ物にならないと、麻美さんは笑う。何よりも仕事ぶりが評価され、セクションの陣頭指揮を執る管理職まで上り詰めた麻美さんにとって、仕事は単に収入以外の意味を持ち、生きがいとなっている。
麻美さんは、すべてを話し終わると、「まだ少し仕事が残っているから」と言って、すっかり暗くなった夜の銀座に消えていった。その足取りは軽く、後ろ姿は誰よりもたくましく見えた。
http://news.livedoor.com/article/detail/15095309/
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