2018年7月7日土曜日

松本死刑囚ら執行 遺族、一つの区切り オウム影響、今なお(その1)

「真摯な言葉」ないまま

 一連の事件からおよそ四半世紀。「教祖」として事件を首謀したオウム真理教元代表、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)の刑が6日、執行された。事件の被害者遺族らからは「死刑執行は当然」と受け止める声が相次いだ一方、死刑囚の支援を続けた人たちは突然の刑執行に反発を強めた。警備当局は後継団体の今後の動きに警戒を強めている。【川名壮志、国本愛、小川直樹、中村宰和】

突然の知らせに驚き

 地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(71)は午前、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。「突然だったので、びっくりしました」。冒頭、率直に驚きを口にすると、執行について法務省から報道発表前に電話があったと明かし、電話口で揺れた胸中を明かした。

 電話では、執行された死刑囚の名前が告げられた。「(最初に)麻原の執行を聞いた時は、会見しないといけないなあ、と」。だが、その後、井上、新実、土谷、中川、遠藤、早川、と名前が続き、「動悸(どうき)がした」と吐露した。この6人には「今後のテロ防止ということで、もっと話してほしかった。それができなくなってしまった」。

 報道発表前の連絡は求めていた一つで、「少しずつ実現している」と評価。死刑執行への被害者・遺族の立ち会いなど、他の要望も今後の実現を望む。

 懸念される「事件の風化」には「風化という言葉には拒否反応がある。人生を狂わされた者として、繰り返されてはいけないという思いがある」と強調。松本死刑囚の死刑執行は「当然だ」と言う。

 夫とは24歳で結婚。そして結婚24年の記念旅行を話している時に事件に遭い、それからさらに23年。「オウムに振り回された人生3分の1だった」。自らに言い聞かせるように、「これも一つの区切りと思う」と語った。

 1989年に一家が殺害された坂本堤弁護士(当時33歳)の同僚だった小島周一弁護士(62)は午後、横浜市内で報道陣の取材に応じ、「なぜあれだけの事件を起こしたのか、松本死刑囚の真摯(しんし)な言葉がないと分からない。最後まで追及してほしかった」と語った。

 3期後輩だった坂本弁護士について「最後まで人を信じている男だった」と、改めて同僚の人柄を振り返った。坂本弁護士の母さちよさん(86)は小島弁護士の事務所を通じて「亡くなった一家3人には、終わったね、安らかにねと言ってあげたい」とコメントした。

 94年の松本サリン事件で死亡した8人のうちの一人で信州大学医学部生だった安元三井(みい)さん(当時29歳)と顔見知りだった男性医師(58)=長野県松本市=は「亡くなった人は帰ってこない。複雑な気持ちだ」と話した。

 公証役場事務長だった父を事件で亡くした仮谷実さん(58)は「執行されて安心感がある」と述べた。

上祐氏「深くおわび」/検察幹部「執行は当然」

 7人への死刑執行について、元教団幹部や司法関係者からはさまざまな声が上がった。

 後継団体「アレフ」から分派した「ひかりの輪」の上祐史浩(じょうゆうふみひろ)代表(55)は記者会見し、「オウム真理教の犯罪に関しては、その当時、私も教団で重大な責任を有していた。被害者、遺族の皆さんに深くおわびしたい」と改めて陳謝した。

 松本死刑囚への思いについては「離反し批判してきたので、(松本死刑囚から見て)裏切り者になる。10年以上、一種の緊張があった。その微妙な緊張感が少し落ち着くかというのが率直なところ」と心境を明かした。

 アレフは今年3月、死刑囚7人の移送後に「麻原尊師らの死刑執行を強行しようとしているのか。もしそうであるならば、取り返しのつかない重大な禍根となる」とのコメントをホームページで公表していた。執行後は新たなコメントは出していない。

 検察からは「執行は当然」との見方が相次いだ。ある幹部は「何の落ち度もない多くの人々が無差別に殺害され、検察としても総力を挙げて捜査した事件。我々の仕事は終わるが、残されたご遺族の思いはさまざまだろう」と思いやる。別の幹部は「事件を知らない検事も多くなった。時代の区切りという感覚はない」と話した。

 日本弁護士連合会は「国家による重大かつ深刻な人権侵害」と執行に抗議する声明を発表した。7人のうち土谷正実死刑囚を除く6人が再審請求中だったという。【巽賢司、遠山和宏、金寿英】

「来るべき時が来た」元教団施設の周辺住民ら

 オウム真理教は1990年5月、熊本県の旧波野村(現阿蘇市)に「波野道場」と称する教団施設を築いた。当時の村人口約2000人に対し、信者は6000人ともいわれた。村民らは「村を乗っ取られる」と危機感を抱き「波野村を守る会」を結成。団結小屋を建てて交代で見張りの番に立ち、教団の動きに目を光らせた。

 「死刑執行は当然。今日まで長かった」。守る会の代表世話人を務めた高宮信一さん(72)は言う。村は信者の転入届を受理しなかったが、93年、教団側が受け入れを求めた裁判で敗訴。村は控訴し94年、撤退を条件に和解した。

 和解金は村の年間予算の半分近い約9億2000万円。結果として和解後の95年3月に地下鉄サリン事件を起こす教団に資金を与えることになった。後に村議になった男性(81)は「仕方なかった。あれしか方法はなかった」と振り返る。

 道場跡には現在、草木がうっそうと茂り、赤さびた鉄の門扉の前に村民がオウム撤退を記念して建てた石碑だけが残る。波野では過疎化が進み、当時を知る住民も少なくなった。「村民が団結して村の田園風景を守ったことを子や孫に伝えていきたい。オウムとは何だったのか考え続けていかないと数々の事件も風化してしまう」と高宮さんは語った。【城島勇人】

 オウム真理教の拠点があった山梨県旧上九一色村の富士ケ嶺(ふじがね)地区(現富士河口湖町)でオウム追放活動を率いた竹内精一さん(90)は、刑執行について「来るべき時が来た。長いようで、あっという間だった」と振り返った。一方で「なぜオウムが生まれたのか根本原因が分かっていない。事件の反省を生かすためにも忘れてはいけない」とも話した。

盲学校の先輩「暴君ぶり、止められず」

 松本死刑囚が生まれ、幼少期を過ごした熊本県八代市植柳地区。海に近いのどかな農村地帯で長兄(1997年に死去)が漢方薬局を営んでいた実家は、98年に取り壊された。両親も既に亡くなり、実家跡から300メートルほど離れた道沿いに松本家の墓が残る。

 「俺は世の中に怖いものはない」。松本死刑囚が在籍した県立盲学校(熊本市)の柔道部の1年先輩で、寮生活も共にした男性(65)は、死刑囚が口にした言葉が思い出される。

 「幼い頃にいじめられていた松本が、高校時代は逆に全盲の子をいじめ、先生にも反抗するようになった。自分より立場の弱い子を引き連れ、言うことを聞かない相手を暴力で押さえつけるように変わっていった」と男性は振り返る。「仲間として何とか食い止められなかったのかと今でも思う」と力なく言葉を継いだ。【笠井光俊、清水晃平】

松本死刑囚四女が弔意

 松本死刑囚の四女は6日夜、代理人の滝本太郎弁護士のブログで「死刑執行により被害者の方、ご遺族の方が心安らかな日々を取り戻せることを心より祈っております。松本死刑囚は一度の死刑では足りないほどの罪を重ねましたが、彼を知る人間の一人として今はその死を悼みたい」とのコメントを発表した。

 四女は昨年、自分の相続人から松本死刑囚と母親を除外するよう家裁に申し立て、認められている。

元弁護団長「証拠ない」

 松本死刑囚の1審公判で弁護団長を務めた渡辺脩弁護士は書面で「麻原教祖有罪の証拠がないまま死刑が執行されたことに怒りを覚えました」とコメントした。「追記」として、事件の「具体的実行行為の指示はすべて村井(秀夫元幹部、故人)から出ていたが、麻原教祖が村井に指示していたという証拠は皆無だった」と記した。

 井上嘉浩死刑囚を支援していた僧侶の平野喜之さんは先月25日に面会したばかりだったといい、「無念だったろう」と思いやった。

法相、就任時に慎重姿勢

 上川陽子法相(65)=衆院静岡1区、自民党岸田派=は東京大教養学部卒。三菱総合研究所研究員を経て米ハーバード大学院に留学、米民主党上院議員の政策立案スタッフを務めた経験もあり、「堅実な実務派」(法務省幹部)と評される。

 初当選は2000年。自民党の犯罪被害者等基本法プロジェクトチーム事務局長として同法成立(04年)に尽力。少子化担当相や初代公文書管理担当相を歴任。14年法相に就いた。昨年8月発足の第3次安倍第3次改造内閣で法相に再登板。就任記者会見で死刑執行について「慎重の上にも慎重な態度で臨む。厳正に行われなければならない」と述べた。【和田武士】

覚悟/不安/葛藤…他6人の拘置生活

 今回死刑を執行された松本死刑囚以外の6人は、それぞれの思いを抱えて拘置生活を送っていた。

 教団の「建設省大臣」だった早川紀代秀死刑囚は自ら再審請求していた。公判で弁護人を務め、死刑確定後も面会を続けていた黒田純吉弁護士によると、早川死刑囚は死刑確定後も後悔と反省の思いを深め、今年3月に東京拘置所で面会した際は「私はいつ執行されるんでしょうか」と死刑を覚悟した様子で語ったという。

 事件当時の心境については「麻原を人間以上の存在と信じ、命じられたことをためらうのは修行が足りないからだと思い込んでいた」と振り返っていたという。

 最古参幹部の一人だった新実智光死刑囚は4月、面会した弁護士に7人が東京から移送されたことについて心細い心境を吐露。自身についても「いつ執行されるか分からず、精神的に不安になっている」と話していた。

 松本死刑囚の主治医を務めた中川智正死刑囚は、移送前まで毒物研究の権威とされる米コロラド州立大のアンソニー・トゥー名誉教授と面会を続けていた。

 移送前日に面会したトゥー氏は「いつも通り笑顔を見せて話してくれたが、(執行を)覚悟しているようだった」と語った。

 「修行の天才」といわれ、教団の「諜報(ちょうほう)省」トップだった井上嘉浩死刑囚は再審請求中だった。弁護人は「再審を申し立てているのに執行がありうるのか」と言葉を失った。

 サリン製造に関わった土谷正実死刑囚は刑確定前、毎日新聞に手記を寄せた。被害者や遺族に謝罪し、松本死刑囚を2度目以降で「A」と略し「(逮捕後は)事件の悲惨な被害に対する罪悪感と、Aへの帰依心との間で葛藤していた」と明かしていた。

 地下鉄・松本の両サリン事件に関わった遠藤誠一死刑囚は全13人の死刑囚で最後の確定者だった。【平川昌範、石山絵歩、伊藤直孝】

元検事「因果応報だ」

 早川死刑囚の死刑が執行された福岡拘置所(福岡市早良区)にも報道陣が詰めかけ一時騒然とした。

 福岡県弁護士会の牧野忠弁護士は、東京地検の検事だった時に中川死刑囚の取り調べをした。「彼らは『どうやったら世の中がよくなるか、人間を救えるか』と真面目に考えていたが、やり方がめちゃくちゃだった」

 当時を振り返り、死刑執行について「洗脳された結果とはいえ、あれだけの被害を出し、因果応報としか言えない」と話した。【平川昌範】

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