2018年7月11日水曜日

“日野町事件”再審開始決定 事件から34年、受刑者は病死

“日野町事件”再審開始決定 事件から34年、受刑者は病死

更新:2018/07/11 19:20

 いまから34年前、滋賀県日野町で酒店の店主の女性が殺害され、金庫が奪われた事件。大津地裁は、無期懲役の判決を受けその後病死した男性について、再審=裁判をやり直す決定を出しました。

 「本当に夢のようです。この30年間心が折れそうになったこと、くじけそうになったこと本当に何度もありました。皆さんの支持を得ましてここまでやってこれました」(長男 阪原弘次さん)

 阪原弘元受刑者。3人の子どもや孫とごく普通の生活を送っていましたが、近所で起こったある事件でその後の人生が激変しました。事件は1984年12月、酒店を経営していた女性が殺害され、店にあった手提げ金庫が奪われました。その後、遺体は宅地造成地に、手提げ金庫は山林に捨てられているのが見つかりました。事件から3年以上たった1988年。警察は酒店の常連客だった阪原元受刑者を逮捕。決め手となったのは自白でした。しかし、警察による取り調べは恫喝をともなう過酷なものだったといいます。

 「『娘の嫁ぎ先行ってガタガタにしたろうか』『豊田(当時住んでいた地区)を火の海にしたろうか』と(警察に)言われたときに我慢できなくなって、父ちゃん『やった』と言ってしもたんやって」(長男 弘次さん)

 裁判では、阪原元受刑者は自白を強要されたとして無罪を主張しましたが、2000年に無期懲役が確定しました。

 「私は悔しくてなりません」(阪原弘元受刑者(当時64)・2000年)

 その後、裁判のやり直しを求めて再審請求しましたが棄却され、阪原元受刑者は2011年に病死しました。そこで、弘次さんら残された家族は2012年に再び裁判のやり直しを求めることにしました。

 再審請求審で焦点の一つとなったのは「写真の証拠能力」です。これまでの裁判では、容疑者を現場に立ち合わせる「引き当て捜査」で、阪原元受刑者が金庫が捨ててあった場所まで捜査員の誘導なしで案内できたとされたことが有罪の決め手となっていました。ところが…

 「本来、引き当て捜査というものは、本人が案内する度に写真を撮ってそれで正解にたどり着いたという経過が大事。経過が全く無視されていることが客観的証拠のネガで明らかになった」(日野町事件弁護団 玉木昌美・主任弁護士)

 弁護団の請求により、この引き当て捜査を撮影した「ネガ」が開示されました。その結果、案内しているとされた19枚の証拠写真のうち8枚は帰り道に撮られていたものと判明したのです。また弁護団は、自白による方法では殺害できないとする医師の新たな鑑定結果を提出しました。

 「両手の指で前後から挟むようにして締めつけたところ、被害者はひと声も発することなく死亡したと。これでは右手に力が入らない、首も固定しない。自白の殺害方法はありえない」(玉木昌美・主任弁護士)

 そして、事件から34年。大津地裁は阪原元受刑者が金庫の発見現場に案内したとする点については、「直截的な誘導はなされなかったものの、発見場所にたどりつけることを強く期待した警察官が意図的な断片情報の提供を行ったことなどで、案内できた可能性が認められる」と判断しました。さらに「顔を殴るなどの強引な取り調べにより、自白した合理的疑いが生じた」ことや「自白と遺体の状況が整合しない」などとして、再審=裁判をやり直す決定を下しました。

 「あの時に父が無罪判決を勝ち取って刑務所を出ていたなら、おそらく生きてると思う。父ちゃん一杯飲もうか、たまには2人で飲もうかという会話もできてたと思う。それができない悔しさはあります。父が今、ここにいないという悲しみはあります」(長男・弘次さん)

 決定を受けて大津地検は「主張が受け入れられず誠に遺憾である。決定内容を十分に検討し上級庁とも協議の上、適切に対応したい」とコメントしています。

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