櫻井よしこ氏が毎週金曜日に配信しているインターネットニュース番組「言論テレビ 櫻LIVE」に加戸守行前愛媛県知事(82)が出演した。
加戸氏は「岩盤規制の主役は日本獣医師会顧問の北村直人・元衆院議員」と断じ、「民主党政権で前に進むと、すぐに議員連盟が民主党内にできてブレーキがかかった」と、北村氏の影響力の大きさを表現した。
加戸氏は「安倍晋三首相の濡れ衣を晴らしたい」と前置きし、私が(平成11年に)知事になって最初に取り組んだのが今治の新都市開発事業」と述べた。松山大学の誘致が失敗し、学園都市構想が宙に浮いていたとし、予定地が空き地のままになっていたと述べた。
加戸県政のころは、前半期に鳥インフルエンザが起き、アメリカでは牛海綿状脳症(狂牛病、BSE)が猛威を振るい、後半も口蹄疫が宮崎県で発生し、四国に上陸させないというのが喫緊の問題で、公務員獣医師が足りず、獣医師総動員となり、検疫態勢に苦労したことを述べた。その上で公務員試験を免除してもいいから、公務員になってくださいという状態だったと当時を振り返った。
こうした経緯から「今治に先端研究ができる獣医学部がほしい」という話になり、平成19年に愛媛県と今治市が共同で国家戦略特区に申請した、と経緯を説明した。
加戸氏の指南役(米ジョージタウン大客員教授の経験者)から「米国では狂牛病以来、最先端の研究が進んでいる。日本も後れてはいけない」と持ちかけられたのをきっかけに、文部科学省の官僚出身の加戸氏が文科省に掛け合ったと述べた。
加戸氏は「(私の出身官庁だから)簡単かと思ったら非常に厚い壁にはね返された」と表現し、福田康夫内閣時に構造改革特区を利用して申請したが、「岩盤のようにはね返された」と表現した。加戸氏の説明によると、構造改革特区の15回の申請はすべて却下された。
加戸氏は「獣医師会の強力な働きで文科省も農水省も逃げた」と表現し、却下の背後に日本獣医師会の圧力があったと明言した。
第一次安倍晋三内閣の2年目に国家戦略特区法が平成25年制定され、この特区を利用することになった。国家戦略特区1号は新潟市の獣医学部構想。翌26年に今治市が第2号の名乗りを上げた。
加戸氏は「構造改革特区は大相撲でいえば15戦全敗。国家戦略特区に乗り換えた。そちらの方がやってくれそうだなということで名乗りを上げた」と事情を明かした。
だが構造改革特区で安倍内閣時にも5回はねられたと事情を明かし、新潟市の構想が出た後に「こっちの方が見込みがあるのかな」と、同時並行でありながらも国家戦略特区に「乗り換えた」と述べた。
加戸氏は「民間有識者会議は、獣医学部を自由に作らせようと作業を始めたが、獣医師会が強烈な反対をした」と述べた。
さらに加戸氏は「平成19年、文科省に(話を持って行ったら)2カ月後、獣医師会から『大学獣医学部の入学定員は増やしてはいけない』との決議文が出た」と述べ、構造改革特区の申請を麻生太郎内閣にした際には、北村直人・日本獣医師会顧問(70、元自民党衆院議員)が「すぐに東京から日大の総長と一緒に飛んでこられて反対をした」と明かした。
加戸氏は「北村さんがすべての主役を演じておられるのかな」と表現。
平成22年2月、民主党の鳩山由紀夫内閣下で民主党議員の働きかけで「実現に向けて検討」と獣医学部構想がランクアップした。
「(政治が)前向きになり、良かったなと思ったら、民主党内に2週間後に『民主党獣医師議員連盟』が結成され、68名が加入した」と加戸氏は述べ、執拗な獣医師会のロビー活動を明かした。
愛媛県選出の民主党議員は、議員連盟に入らず、オブザーバー扱いだったが、「(政治連盟結成後)急に民主党内の雰囲気が変わり、ブレーキがかかった」と述べた。自民党政権に変わると、今度は自民党獣医師議員連盟が動いたと説明した。
加戸氏は北村氏を「タイミング良く動く人」と表現し、「我々が動いたら石破4条件ができた」とも述べ、「自民党から新進党に移られるなどしたが、常に獣医師のために動く人」と北村氏を表現した。(WEB編集チーム 三枝玄太郎)
http://news.livedoor.com/article/detail/13405952/
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