太平洋戦争末期の1945年4月、宮崎県南部の日向灘沖に墜落した米軍のB29爆撃機「サルボサリー号」の搭乗員の慰霊祭が命日の28日、宮崎市の航空大学校で初めて営まれた。搭乗員12人のうち唯一生き残ったジャック・B・キャノンさん(94)と米兵の遺族らが出席し、慰霊祭を主催した宮崎市遺族連合会の会員らと「日米合同」で不戦の誓いを新たにした。【塩月由香】
連合会によると、サルボサリー号は旧日本海軍の特攻隊の基地だった赤江飛行場(現宮崎空港)を空襲するために飛来したが、高射砲で撃墜され日向灘に墜落。搭乗員11人が死亡し、キャノンさんだけが漂流していたところを米軍に助けられて九死に一生を得た。
米国から来日したのはキャノンさんと、犠牲になったフレッド・J・マクドナルドさんの長男ジュニアさん(75)ら5人。
2歳で父を亡くしたジュニアさんが昨年、「父の最期を知りたい」と人づてに相談。国内各地のB29の墜落記録をまとめている戦史研究者の深尾裕之さん(47)=青森市=や、稲田哲也さん(46)=宮崎市=らを通じてキャノンさんと市遺族連合会のことを知った。
ジュニアさんとキャノンさんは昨秋、米国内で対面。来日を知った遺族連合会の関谷忠会長(76)らが慰霊祭を企画した。当初、会員の中には「我々は米軍のせいで遺族にされた」と反対する声もあったという。だが、自身も3歳の時にフィリピンに出征していた父を亡くした関谷会長が「国を問わず戦争に巻き込まれた犠牲者を慰霊し、平和につなげることが我々の役割だ」と説得した。
慰霊祭でキャノンさんは「先の戦争で家族や友人を亡くした多くの人と気持ちを分かち合いたい」とあいさつし、日本側の出席者と手を取り合った。慰霊祭の後には「戦争は全てを破壊する。こんな無残なことは二度と繰り返してはならない」と語り、ジュニアさんも「父がこの場にいたら、きっと日本を好きになったと思う」と穏やかな笑みを浮かべた。
http://mainichi.jp/articles/20180429/ddp/041/040/024000c
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