永田町の荒波を乗り越えた一方で、私生活では落花流水の如く、本妻と愛人の間を漂っていた――。田中角栄元総理と神楽坂芸者の恋仲はよく知られた話だが、このほど、2人と付き合いがあった人物が単行本を上梓。知られざる両者の一面を露わにしたのである。
今月初めに刊行された著書のタイトルは、『神楽坂純愛』(さくら舎)。かつて花街として栄えた神楽坂の人気芸者・辻和子さん(享年82)と角栄の関係を間近で見聞きし、綴られたものだ。
版元の担当者によれば、
「2015年から、角栄ブームで関連本の出版が続きましたが、少し鎮静化してから出そうと計画していたのです。今月7日に発売しまして、初版は5000部。近いうちに重版することになると思います」
著者は深井美野子さん(79)。ビートルズの日本語カバー曲を歌ったことで知られる松岡計井子の訳詞を担当したほか、戯曲作家でもある。が、花街には検番と言って、料亭に芸者を取り次ぐ事務所があり、深井さんは、検番医の娘として、幼い頃から神楽坂の街に出入りしていたのだ。
「元々、浅草で祖父が医院を営んでいて、私が小学生の頃から角栄さんは患者として通院していました。会うと“おう、こんにちは”と声を掛けてきて好々爺という印象でした」
とは、深井さんご本人。
「検番医は母親がやっていまして、戦後すぐから40年ほど、週2回神楽坂に通っていました。辻和子さんのいた置屋、金満津(かねまつ)の女将さんが浅草出身で、女将さんの義父が祖父の患者だった縁で検番医になったのです」
「真紀子が怖い」
深井さんの母親は、神楽坂勤めの際は必ず、金満津で食事をした。そのため、母親と女将さん、和子さん、そして角栄の4人は非常に密な関係だったという。
「私も高校時代は、母に付き添って、月に2回ほど検番に行っていました。そこで見た角栄さんという人は、豪気に見えて、日々の生活は質素だった印象があります。湧き出るほどのお金で家や土地を買いながらも金満津では派手なことはしない。和子さんや母親からは、“繊細で淋しがり屋だ”と聞きました」
そんな角栄でも、ある時、次のようなことを口にしていたという。
「和子さんから聞いたのですが、娘の真紀子さんについて、角栄さんが“とにかく存在自体が怖い”と言っていたそうです。真紀子さんのことが可愛くて仕方がなく、言いなりになるしかないようで、“真紀子が反対することは俺には出来ない”とこぼしていたとか」
同じように、18歳の時に角栄と出会い、2男1女をもうけた和子さんには、妾として最大限の愛情を注いでいたという。
「神楽坂に350坪にも及ぶ豪邸を建ててあげていましたし、月の生活費は100万円だったそうです。お手伝いさんも最低2人雇っていました。そのことからも、とても大事に思っていたことが分かります」
1993年に角栄が息を引き取り、その16年後に和子さんも亡くなった。“田中角栄伝説”にまた新たな1ページが加わったのである。
「週刊新潮」2018年2月22日号 掲載
http://news.livedoor.com/article/detail/14349792/
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