読売新聞の社説(10月28日付)。見出しは「前原代表辞意 民進はどこへ向かうつもりか」。
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野党が迷走している。民進党は10月27日の両院議員総会で、希望の党への合流方針を撤回し、前原誠司代表に代わる新代表を選ぶことになった。一方、希望の党は小池代表が国政から距離を置くことから、民進党出身者が党運営を担うという。だが、民進出身者は党が掲げる憲法改正などの方針を反故にする動きをみせている。なぜ決めたことを守れないのか——。
読売新聞の社説(10月28日付)。見出しは「前原代表辞意 民進はどこへ向かうつもりか」。
■本来なら「安倍1強」に対抗する力を蓄えるべき
「民進党」が10月27日、両院議員総会を開き、前原誠司代表がその冒頭のあいさつで辞任を表明した。衆院選大敗の責任だという。さらに当初方針の「希望の党」への合流は見送り、民進党の存続を決めた。
希望の党も同日、両院議員総会を開いて小池百合子代表が国政から距離を置く姿勢を示したが、共同代表の人事をめぐって二転三転した。
前回(10月29日掲載)、沙鴎一歩は「とにかく野党がだらしない」「大騒ぎをした野党の責任は大きい」と厳しく指摘し、前原氏と小池氏に焦点を絞って野党問題を論じた。
さらに民進党も希望の党も混乱が続いている。強い野党があってこそ、政治のバランスは取れる。本来なら党内の結束を固め、「安倍1強」に対抗するための力を蓄えるべきなのにそれができない。国民はいま、野党から目を離してはならない。
今回も両野党を取り上げ、その責任問題について新聞社説はどう書いているかを読み解いていきたい。
■「政治は結果責任」と前原代表
「前原代表辞意」とのタイトルを付け、その見出しで「民進はどこへ向かうつもりか」とズバリ書いているのは、10月28日付の読売新聞の社説である。
2本社説中の2番手扱いだが、なかなか読ませる社説だ。
書き出しも「解党に向かうはずが、一転、存続するという。民進党は一体どこに向かうのだろうか」と分かりやすい。
読売社説は「民進党の前原代表は両院議員総会で、衆院選での自民党大勝を受け、『政治は結果責任だ。責任を痛切に感じている』と述べ、党の方向性が決まった時点での辞任を表明した」と事実関係を書き、「安倍政権を倒すため、民進党を事実上、希望の党に合流させ、自民党に対抗できる野党勢力を結集する構想は不発に終わった。その責任を取るのは当然だ」と前原氏の責任を厳しく追及する。
ここまでは他の新聞社の社説でと変わりないが、今回の読売社説が鋭いのは次の主張である。
■「小池人気」にすがった民進議員は深く反省を
「出席者からは『即刻辞めるべきだ』などと、前原氏への批判の言葉が相次いだ」
「だが、合流方針については、参院議員を含めて、先月下旬の両院議員総会において拍手で了承していた。節を曲げてまでも、希望の党の小池代表の人気にすがったのではなかったか。まずは、自らの対応を反省すべきだろう」
その通りだと思う。沙鴎一歩はこの読売社説の主張に大きな拍手を送りたい。最近の読売社説は「安倍政権の御用新聞」という殻を脱いで、ようやくバランスが取れてきたように見える。
続いて読売社説はこう筆を進めていく。
「民進党内には、立憲民主党などとの合流を含め、野党の再々編を求める意見がある」
「野党勢力の将来の結集自体は否定すべきではない。だが、党勢の低迷が続いた民進党が、不人気な党の看板を隠して衆院選に臨み、その直後に手のひらを返したように再結集を図るのは、有権者の理解を到底得られまい」
これもその通りだ。政治は国民のためにある。有権者あってこその国会議員だ。
■ズバリ「小池氏の認識は正しい」と読売社説
小池氏の希望の党について読売社説はどう書いているだろうか。
「小池氏が国政から距離を置くことで、民進党出身者が党運営を担うことになる。来月にも共同代表を選挙で決めるという」という事実を紹介したうえで、こう指摘している。
「看過できないのは、小池氏の求心力低下を見計らって、党が掲げる憲法改正や安全保障関連法の容認を反故にしようとする動きが、公然と出てきたことである。選挙中だけ自らの主張を封印したと勘ぐられても仕方あるまい」
憲法改正や安保が大好きな保守の読売新聞らしいといえば、そうなのだが、一度決めたことをすぐに変えようとする「民進党出身者」への批判は、筋が通っている。
そしてズバリと、「『将来、政権交代しても、外交・安保政策は継続させるべきだ』とする小池氏の認識は正しい」と書く。
衆院選前、希望の党の立ち上げに対して、読売社説はかなり批判的だった。しかし小池氏の「外交・安保政策は継続」という姿勢は大きく評価している。大新聞社といわれるだけあり、かなりの余裕を感じさせる。
■産経は書き出しのひねりが弱いぞ
ところで読売以外の新聞社説で、この憲法改正や安保法の容認反故の動きについて大きく扱っているのが、読売社説と同じ10月28日付の産経新聞の社説である(産経の場合は「赤旗」と同じ「主張」というカットで社説を掲載している)。
「希望の党」というタイトルを付け、「民進回帰では不毛すぎる」と一見、きつい見出しを取っている。
その書き出しも「選挙が終わったとたん先祖返りをして『第2民進党』になろうとでもいうのだろうか」と皮肉ってはいるものの、ひねり方が弱い。
産経社説はその序盤をこう書き進める。
「希望の党が両院議員総会を開いた。そこで安全保障関連法への姿勢について、同法の廃止を求めてきた『民進党の考え方と矛盾しない』という見解を確認した」
「『泥舟』を捨てて新党になだれ込もうとした際とは、ずいぶん話が違う」
「北朝鮮危機を目の当たりにしながら、国の守りに関する基本的な立場をころころ変える。出だしから有権者への重大な背信を犯す党を信頼することはできない」
■「小池氏が正しい」とズバリ書けない産経
まず、「安全保障関連法への姿勢について、同法の廃止を求めてきた『民進党の考え方と矛盾しない』という見解」という書き方自体が分かりにくい。
なぜ、読売社説のように「安保法に対する容認の反故」とはっきり書けないのか。この社説を書いた論説委員の筆力を疑ってしまう。
次の「泥舟」うんぬんはいいが、いきなり北朝鮮の脅威を持ってくるのはどうか。北朝鮮問題に力を注いできた産経らしいのだが、そこを誇張することにもなる。沙鴎一歩には、どこか嫌みな感じする。
「有権者への重大な背信を犯す党を信頼することはできない」という表現も、なぜ「有権者への重大な背信だ」と明確に書けないのだろうか。
産経社説は次にこう論じていく。
「院選で、小池百合子代表は立候補者との間で政策協定を結んだ。そこには、安保関連法について『憲法に則り適切に運用する』とうたっていた」
「集団的自衛権の行使容認への態度をぼかすという問題点はあった。それでも、行使容認を違憲と決めつけ、同法廃止を声高に求めてきた民進党よりは現実的な姿勢に転じるはずだった」
この辺りも分かりにくい。読売社説はズバリと「『将来、政権交代しても、外交・安保政策は継続させるべきだ』とする小池氏の認識は正しい」と書いているではないか。産経社説はどうしてそう書けないのか。
■結局、産経は「小池百合子」が大嫌いなのだろう
理由は明らかだ。産経社説は各紙のなかでも小池氏にかなり批判的だった。そのために読売社説のように頭の切り替えができないのだろう。
その結果、社説全体の筆運びから滑らかさが消え、水気のないパサパサした文章が続き、分かりにくい主張になっている。そう沙鴎一歩は思うのだが、どうだろうか。
次のくだりも気になる。
「『小池人気』を頼って合流したのが実態だろう。選挙中から『変節漢』との批判も浴びたろう。この上さらに、民進へ回帰しようとすることこそ、変節の極みだ」
「変節漢」とは自分の信念を時流などにこびて変えるような男を指すのだが、あまり使われない言葉である。希望の党の両院議員総会の中で使われたのだろうか。特に若い世代の読者は受け入れにくいだろう。
「変節の極み」という表現を使うのは、よほど変節が嫌いな頭の固い論説委員が書いたのか。デスク格の論説委員のチェックはどうなっているのだろうか。
さらに「今、なすべきは当初の『恩義』を忘れて小池代表に恨み言をぶつけることではない。衝動的に民進回帰することでもあるまい」と指摘しておきながら、社説の最後でこう小池批判を繰り返す。
「創立者たる小池氏にしても、完敗で早くも党運営を国会議員に丸投げする。もう飽きたというならあまりにも無責任ではないか」
産経社説はよほど小池百合子という女性政治家が嫌いなのだろう。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)
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