中曽根康弘元首相の在任は戦後5位となる1806日に及んだ。中曽根氏は「戦後政治の総決算」を掲げ、内政、外交ともに社会主義勢力の打破をもたらす成果を残した。また「仕事師内閣」「大統領型首相」を標榜(ひょうぼう)して官邸主導を推進し、安倍晋三首相ら後の歴代首相の政治手法に影響を与えた。(今堀守通)=肩書、固有名詞は当時
審議会方式
田中派の全面支援を得て首相に就いた中曽根氏は、政権基盤の弱さを、政策の遂行による世論の支持でカバーしようとした。
「日本が、戦後史の大きな転換点に立っている」
昭和58年1月の施政方針演説でこう述べ、「民主主義の基本」に立ち返って21世紀に向けた諸制度の改革に取り組むと表明した。
内政では「増税なき財政再建」の下での行政改革を重視し、政策遂行で活用したのが、政治家や霞が関を入れずに官邸が直接、民間の意見を取り入れる「審議会」だった。
行政管理庁長官のときに発足させた「第2次臨時行政調査会」(会長・土光敏夫元経団連会長)が58年3月に最終答申を出すと、次々と実行に移した。
最大の懸案は国鉄問題だった。国鉄は、兆単位の借金を抱え、経営は社会党を支持する主要労組、国鉄労働組合(国労)の意向に経営陣が左右されていた。
https://www.sankei.com/politics/news/180527/plt1805270031-n1.html
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