中東・バーレーンで開催中の国連教育科学文化機関(UNESCO)第42回世界遺産委員会は6月30日、長崎県・熊本県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産への登録すると決定した。
日本国内の世界遺産は、今回の登録決定で計22件(文化遺産18件、自然遺産4件)となる。
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Just inscribed as @UNESCO #WorldHeritage Site: Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region, #Japan 🇯🇵. Congratulations! 👏
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— UNESCO (@UNESCO) 2018年6月30日
「潜伏キリシタン関連遺産」は12の遺産から構成される。現存する国内最古のキリスト教会である「大浦天主堂」(長崎市)や、禁教下で潜伏キリシタンとして信仰を守った「天草の崎津集落」(熊本県天草市)など、江戸時代に弾圧を受けながらも信仰を守り抜いた人々の歴史を今に伝えている。
■「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」では定義が異なる
「潜伏キリシタン」と似た用語で「隠れキリシタン」という言葉があるが、学術的に見ると「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は異なるようだ。『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」の項目では、以下のように説明している。
江戸時代、キリシタン禁制に対して、表面的には仏教徒を装いつつ、密かにキリシタンを信仰し続けた人々。(中略)潜伏キリシタンの中には、キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが、江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。
(『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」より)
長崎市国内観光客誘致推進実行委員会では、「潜伏キリシタン」について以下のように説明している。
江戸時代の初期、外海、浦上、天草などの信徒たちは幕府の摘発を逃れるために表社会では仏教徒として生活し、内面的にキリスト教を信仰する潜伏キリシタンとなりました。天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたり、それぞれに独自の信仰の形を形作っていったのです。江戸時代後期には外海地方にいた潜伏キリシタンたちが五島列島に移住し新しく潜伏キリシタンの集落を作っていきました。明治になって禁教令が撤廃された後も、このような潜伏時代の信仰形態を継承した人々を、かくれキリシタンと呼んでいます。
『ブリタニカ国際大百科事典』などによると、江戸時代の潜伏キリシタンは、土地の習俗や神仏信仰などと結びついたことで次第にキリスト教の教義から離れ、独自の信仰へと発展していった。
そのため、明治以降にキリスト教の禁教が解かれ、再びカトリックの宣教がなされても、カトリックとは一線を画し、独自の信仰様式を継承した人々が残った。これが「隠れキリシタン」と呼ばれる信仰だ。
宗教学者の宮崎賢太郎・長崎純心大学教授は『カクレキリシタン オラショ―魂の通奏低音』の中で、「現在のカクレキリシタンはもはや隠れてもいなければキリシタンでもない。日本の伝統的な宗教風土のなかで長い年月をかけて熟成され、土着の人々の生きた信仰生活のなかに完全に溶け込んだ、典型的な日本の民俗宗教のひとつ」との立場から、隠れキリシタンを信仰する人々を「カクレキリシタン」と片仮名で表記している。現在でも長崎県の生月島や熊本県天草などで、その教えを信仰する人々がいる。
なお、国指定の無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼[信仰])としては「かくれキリシタン」と表記される。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/30/senpuku_a_23471626/
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