30日午後9時ごろ、函館発羽田行き全日空558便ボーイング787(乗客乗員計287人)が、左エンジンに不具合があるとして緊急事態を宣言した。約15分後に羽田空港に着陸し、誘導路上で停止した。けが人はいないという。
国土交通省や全日空によると、乗員から左エンジンの排気温度が高いとの連絡があったという。羽田に着陸後、誘導路上でエンジンを止めた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201806/0011404137.shtml30日午後9時ごろ、函館発羽田行き全日空558便ボーイング787(乗客乗員計287人)が、左エンジンに不具合があるとして緊急事態を宣言した。約15分後に羽田空港に着陸し、誘導路上で停止した。けが人はいないという。
国土交通省や全日空によると、乗員から左エンジンの排気温度が高いとの連絡があったという。羽田に着陸後、誘導路上でエンジンを止めた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201806/0011404137.shtml西日本を中心に大気の状態が不安定になっている。気象庁は30日、7月1日にかけて局地的に1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降る恐れがあるとして、土砂災害や浸水、河川の増水への警戒を呼び掛けた。台風7号が暴風域を伴って1日に接近する見込みの沖縄では、大雨のほか突風や高波への注意も必要になる。
気象庁によると、台風は30日、沖縄の南をゆっくりと北寄りに進んだ。中心気圧は992ヘクトパスカル、中心付近の最大風速23メートル、最大瞬間風速35メートル。東シナ海を北上して2日には九州に近づく可能性がある。3日には温帯低気圧に変わるとみられる。
1日午後6時までの24時間予想雨量は多い地域で沖縄と四国200ミリ、九州南部150ミリ、九州北部100ミリ。
1日までに予想される最大風速(最大瞬間風速)は沖縄30メートル(40メートル)、奄美22メートル(35メートル)。予想される波の高さは沖縄8メートル、奄美6メートル。
日本海に停滞している梅雨前線に向かって台風から暖かく湿った空気が西日本付近に流れ込み、天気が崩れた。30日はレーダー解析で大分市佐賀関付近では約110ミリの雨が降ったとみられる。長崎地方気象台は30日午後9時すぎ、長崎県対馬市で50年に1度の記録的な大雨となっているところがあると発表した。
https://www.sankei.com/west/news/180630/wst1806300056-n1.html 30日午前11時半ごろ、群馬県みなかみ町師の「グランボレ・パラグライダースクール」敷地内で、2人乗りのパラグライダーが墜落した。操縦していた派遣社員東軒太一さん(34)=前橋市古市町=と、客の団体職員梅津友良さん(36)=東京都葛飾区西新小岩=が病院に運ばれたが、死亡した。県警沼田署が原因などを調べている。
同署や消防によると、パラグライダーは約30メートルの高さから落下。東軒さんは同スクールに勤務するインストラクターで、約20年の経験があった。梅津さんがパラグライダーを利用したのは今回が初めてだった。
墜落直後の同日正午ごろ、現場付近は晴れていたが、時折強い風が吹いていたという。(2018/06/30-19:22)
6月30日、バーレーン王国のマナーマで開催されている第42回世界遺産委員会で、日本から推薦された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県・熊本県)が世界遺産に登録された。日本では、2013年から6年連続、22件目の世界遺産誕生となる。また、長崎県と熊本県では2015年に世界遺産登録された「明治日本の産業革命遺産」に引き続き2件目の世界遺産となった。
そこで今回、新しく世界遺産登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の魅力と、世界遺産としての課題について、世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局の主任研究員である宮澤光さんに改めてうかがった。
――今回の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は世界遺産委員会が始まる前から登録が有力視されていましたが、実際の審議はどうだったのでしょうか。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、5月に諮問機関であるイコモスから「世界遺産にふさわしい」という評価である「登録」勧告が出ていました。その勧告の中で、特に構成資産を減らすような指示や遺産名の変更の提案などがなかったこともあり、世界遺産委員会の本会議では反対意見などが出ることもなく、無事に登録されました。私もWEBで見ていたのですが、イコモスから「登録」勧告が出されている場合、世界遺産委員会でそれが覆されることはまずないので、安心して会議を見ていることができました。
ただ今回の世界遺産登録は、長崎で教会群を世界遺産にしようという運動が立ち上がった時から考えると、長い長い道のりでした。こんなに苦労した世界遺産登録は、日本では他にないと思います。まさに「潜伏キリシタン」の苦しみを髣髴(ほうふつ)とさせるものでした。
――その世界遺産登録までの長い道のりについて、もう一度お聞かせください。
「長崎の教会群を世界遺産にしよう」という市民運動が始まったのは、「長崎の教会群を世界遺産にする会」が設立した2001年のことです。その後、2007年に世界遺産登録を目指す日本の遺産リストである「暫定リスト」に記載され、2012年に国からの推薦候補になるべく推薦書原案を文化庁に提出しますが、同じく推薦書原案を提出していた群馬県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」が国から推薦される遺産に選ばれてしまいました。これが一度目の挫折です。
長崎県は推薦書原案を修正し、2013年に再び文化庁に推薦します。この時は文化庁からの推薦を受けることができ、このまま国から推薦されるかと思われたのですが、国内での推薦ルールが変更され、内閣官房からも世界遺産に向けた推薦が可能となり、最終的には政治判断で内閣官房が推薦する「明治日本の産業革命遺産」が国から推薦されました。これが二度目の挫折です。
その後、三度目の正直でようやく2014年に日本からの推薦遺産に選ばれ、ユネスコに推薦書が提出されますが、2015年に行われたイコモスの現地調査を経て2016年1月に出された中間報告書で、「今のままでは世界遺産登録は難しい」という意見が出されてしまいます。それを受け、長崎県は推薦書を取り下げて推薦書の見直しを決断しました。これが三度目の挫折です。
そこから最短で世界遺産登録を目指すべく、イコモスとアドバイザー契約を結び、2017年に日本からの推薦遺産として推薦書がユネスコに提出され、今回ようやく世界遺産登録をなったわけです。こうして話しているだけでも長いですよね。地元の方々も、本当に待ちに待った世界遺産登録だったと思います。
――「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」とはどのような遺産なのでしょうか。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、「潜伏キリシタン」という名前が示すように、江戸時代初期にキリスト教信仰が禁止されてから明治時代初期に信仰の自由が認められキリスト教の教会堂が築かれるまでの約250年間、幕府の弾圧を逃れながら密かに信仰を続けた人々(潜伏キリシタン)の「信仰の姿」を証明する遺産です。
長崎県と熊本県に点在する12の資産は、大きく4つの時代に分けられます。ひとつ目は「始まり」。16世紀にキリスト教が日本に伝えられ人々の間に浸透していく一方、豊臣秀吉や徳川幕府によってキリスト教信仰が禁止され、キリシタン達が禁教の下でも信仰を続けることを決意する時代です。この時代を証明するのが天草四郎を総大将とするキリシタン達が幕府軍と戦った島原・天草一揆の舞台「原城跡」です。今は本丸の跡地に建物などは残っていませんが、発掘調査では多くの骨や十字架などが見つかっており、戦いの激しさを垣間見ることができます。
ふたつ目は「形成」。潜伏キリシタン達が神道の信者や仏教徒などを装いながら、密かにキリスト教信仰を続ける方法を作り上げていった時代です。この時代を証明するのは、山や島をキリスト教の聖地として信仰した「平戸の聖地と集落」や、漁村特有の姿でアワビ貝の模様を聖母マリアに見立てて信仰した「天草の崎津集落」、神道の信者や仏教徒を装い信仰を続けた「外海の大野集落」などです。
3つ目は「維持、拡大」。潜伏キリシタンの信仰を続けるために、外海地域からより信仰を隠すことができる五島列島の島々に移住していった時代です。この時代を証明するのは、病人の療養地であった「頭ヶ島の集落」や、神道の聖地であった「野崎島の集落跡」などです。病人の療養地は人があまり訪れない場所であり、神道の聖地にいるのは神道の信者であると見なされるので、潜伏キリシタン達にとって信仰を隠しやすかったと考えられます。
最後が「変容、終わり」。約200年ぶりにキリスト教の信仰を公に告白し世界中を驚かせた「信徒発見」から、教会堂が築かれていく時代です。この時代を証明するのが、この世界遺産のシンボルともいえる国宝の「大浦天主堂」です。浦上地区の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂を訪れ信仰を告白した「信徒発見」は、奇跡としてローマ教皇にも伝えられました。その後、潜伏キリシタンたちは、カトリックに復帰する者や仏教や神道を信仰する者、禁教期の信仰を続ける者(かくれキリシタン)などへと分かれていきました。
こうしてみると、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の12資産で、日本独自のキリスト教信仰の姿というものがはっきりと見えてくると思います。
――今のお話の中で、せっかく禁教が解かれキリスト教の信仰が許されるようになったのに、なぜ仏教や神道を信仰するように改宗した人がいたのでしょうか。
http://news.mynavi.jp/article/20180630-christian/中東・バーレーンで開催中の国連教育科学文化機関(UNESCO)第42回世界遺産委員会は6月30日、長崎県・熊本県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を世界文化遺産への登録すると決定した。
日本国内の世界遺産は、今回の登録決定で計22件(文化遺産18件、自然遺産4件)となる。
🔴 BREAKING!
Just inscribed as @UNESCO #WorldHeritage Site: Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region, #Japan 🇯🇵. Congratulations! 👏
ℹ️ https://t.co/2yNtdUSvGc #42whc pic.twitter.com/TJrRcYnLu9
— UNESCO (@UNESCO) 2018年6月30日
「潜伏キリシタン関連遺産」は12の遺産から構成される。現存する国内最古のキリスト教会である「大浦天主堂」(長崎市)や、禁教下で潜伏キリシタンとして信仰を守った「天草の崎津集落」(熊本県天草市)など、江戸時代に弾圧を受けながらも信仰を守り抜いた人々の歴史を今に伝えている。
■「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」では定義が異なる
「潜伏キリシタン」と似た用語で「隠れキリシタン」という言葉があるが、学術的に見ると「潜伏キリシタン」と「隠れキリシタン」は異なるようだ。『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」の項目では、以下のように説明している。
江戸時代、キリシタン禁制に対して、表面的には仏教徒を装いつつ、密かにキリシタンを信仰し続けた人々。(中略)潜伏キリシタンの中には、キリシタン禁制の高札撤去(1873)以降も教会に復帰しない人々がいるが、江戸時代の潜伏キリシタンと区別する意味で彼らを隠れキリシタンとよぶ。
(『山川日本史小辞典』(山川出版社)の「潜伏キリシタン」より)
長崎市国内観光客誘致推進実行委員会では、「潜伏キリシタン」について以下のように説明している。
江戸時代の初期、外海、浦上、天草などの信徒たちは幕府の摘発を逃れるために表社会では仏教徒として生活し、内面的にキリスト教を信仰する潜伏キリシタンとなりました。天照大御神や観音像をマリアに見立てたり、その地域の言葉で祈りを捧げたり、それぞれに独自の信仰の形を形作っていったのです。江戸時代後期には外海地方にいた潜伏キリシタンたちが五島列島に移住し新しく潜伏キリシタンの集落を作っていきました。明治になって禁教令が撤廃された後も、このような潜伏時代の信仰形態を継承した人々を、かくれキリシタンと呼んでいます。
『ブリタニカ国際大百科事典』などによると、江戸時代の潜伏キリシタンは、土地の習俗や神仏信仰などと結びついたことで次第にキリスト教の教義から離れ、独自の信仰へと発展していった。
そのため、明治以降にキリスト教の禁教が解かれ、再びカトリックの宣教がなされても、カトリックとは一線を画し、独自の信仰様式を継承した人々が残った。これが「隠れキリシタン」と呼ばれる信仰だ。
宗教学者の宮崎賢太郎・長崎純心大学教授は『カクレキリシタン オラショ―魂の通奏低音』の中で、「現在のカクレキリシタンはもはや隠れてもいなければキリシタンでもない。日本の伝統的な宗教風土のなかで長い年月をかけて熟成され、土着の人々の生きた信仰生活のなかに完全に溶け込んだ、典型的な日本の民俗宗教のひとつ」との立場から、隠れキリシタンを信仰する人々を「カクレキリシタン」と片仮名で表記している。現在でも長崎県の生月島や熊本県天草などで、その教えを信仰する人々がいる。
なお、国指定の無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼[信仰])としては「かくれキリシタン」と表記される。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/30/senpuku_a_23471626/
30日
17時18分
0分50秒
30日午前、群馬県みなかみ町でパラグライダーが墜落し、乗っていた30代の男性2人が死亡しました。
午前11時半ごろ、みなかみ町師の「グランボレ・パラグライダースクール」の敷地で、2人乗りのパラグライダー1機が墜落しました。
警察などによりますと、この事故で、このスクールに勤務する東軒太一さん(34)と客としてパラグライダーを体験していた梅津友良さん(36)がおよそ30メートルの高さから落下しました。2人は全身を強く打ったとみられ、病院に運ばれましたが死亡しました。
パラグライダーは、パラシュートを開いて風に乗り滑空するスポーツで、東軒さんには20年ほどの経験があったということですが、梅津さんに経験は無かったということです。
台風7号は30日、沖縄の南海上を発達しながら北上している。沖縄本島地方は1日夕方ごろから暴風が吹き始め、2日未明から朝にかけて最大風速30メートル、最大瞬間風速40メートルの暴風が吹くことが予想される。台風は1日夜に暴風域を伴って沖縄本島地方へ最接近する見込み。
沖縄気象台によると、30日午後3時現在、台風7号は沖縄の南海上をゆっくりとした速さで北北西に進んでいる。中心気圧は992ヘクトパスカルで、中心付近の最大瞬間風速は23メートル、最大瞬間風速は35メートル。大東島地方では台風7号と太平洋高気圧の間の気圧の傾きが大きくなっている影響で、30日午後0時51分に最大風速15メートルの風が吹いた。
沖縄地方全域の沿岸では、30日からうねりを伴い波が高くなっている。1日の沖縄本島地方の沿岸域では、8メートルの波が予想され、大しけとなる見込み。
台風は今後速度をやや速めて発達しながら北上する。沖縄本島地方では1日、台風の影響によって1時間に70ミリの激しい雨が降る見込み。1日午後6時までの24時間に予想される雨量は多いところで200ミリとなる予報で、沖縄気象台は雨雲の発達状況によっては警報級の大雨が降るおそれがあるとして、注意を呼び掛けている。【琉球新報電子版】
30日午前11時半ごろ、群馬県みなかみ町師の「グランボレパラグライダースクール」敷地内で、前橋市古市町、派遣社員東軒太一さん(34)と東京都葛飾区西新小岩、団体職員梅津友良さん(36)が乗ったパラグライダーが墜落したと地元消防に通報があり、いずれも死亡が確認された。
県警沼田署によると、2人は飛行してから5分ほどで約30メートルの高さから墜落。スクールの従業員で約20年のパラグライダー歴があった東軒さんが操縦していたとみて詳しい状況を調べている。梅津さんはパラグライダーの経験がなかった。
(共同通信)
https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-749848.html2018年06月30日17:51
1日(日)は、沖縄は台風の接近に伴って大荒れに。西日本の太平洋側や北日本でも大雨の恐れ。さらに厳しい暑さも続きます。
台風の接近に伴い、沖縄地方には活発な雨雲がかかりはじめています。1日(日)は沖縄本島で1時間に70ミリの非常に激しい雨が降り、災害が発生するような警報級の大雨になる恐れがあります。1日(日)午後6時までの24時間に予想される雨の量は、多い所で200ミリです。土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に注意、警戒してください。さらに2日(月)にかけても大雨の続く所がある見込みです。落雷や竜巻などの激しい突風によって災害が起こる恐れもありますので、最新の気象情報や自治体から発表される避難に関する情報をこまめに確認して、十分にお気をつけください。
一方、6月最終週は、前線が日本海から北日本に延びて停滞し、梅雨のない北海道でも大雨となった所がありました。1日(日)から2日(月)にかけても前線が停滞して北海道や東北で雨や雷雨となりそうです。北海道では所々で激しい雨が降り、こちらも雨の量が多くなる見込みです。これまでの雨で地盤の緩んでいる所や河川の増水している所では、少しの雨でも土砂災害の発生しやすい状況となっている恐れがあります。低い土地の浸水や土砂災害、河川の増水に十分注意してください。落雷や竜巻などの突風にも注意が必要です。
1日(日)も、全国的に厳しい暑さが続きます。南よりの風で暖かい空気が流れ込み、全国の広い範囲で30度以上の真夏日となるでしょう。日本海側ではフェーン現象が起きて厳しい暑さに。北海道や東北でも30度近くまで上がるほか、関東甲信の内陸では35度以上の猛暑日になる所もありそうです。湿度も高く蒸し暑さが続きます。熱中症にならないために「こまめな水分補給」「適度な冷房の使用」「汗をかいたらすぐに拭く」「屋外にいる場合は時折日陰で休憩」など、体調管理を万全にしてお過ごしください。
30日午前11時半ごろ、群馬県みなかみ町師の「グランボレパラグライダースクール」敷地内で、前橋市古市町、派遣社員東軒太一さん(34)と東京都葛飾区西新小岩、団体職員梅津友良さん(36)が乗ったパラグライダーが墜落したと地元消防に通報があり、いずれも死亡が確認された。
県警沼田署によると、2人は飛行してから5分ほどで約30メートルの高さから墜落。スクールの従業員で約20年のパラグライダー歴があった東軒さんが操縦していたとみて詳しい状況を調べている。梅津さんはパラグライダーの経験がなかった。
【共同通信】
30日午前11時半ごろ、群馬県みなかみ町師の「グランボレパラグライダースクール」敷地内で、前橋市古市町、派遣社員東軒太一さん(34)と東京都葛飾区西新小岩、団体職員梅津友良さん(36)が乗ったパラグライダーが墜落したと地元消防に通報があり、いずれも死亡が確認された。
県警沼田署によると、2人は飛行してから5分ほどで約30メートルの高さから墜落。スクールの従業員で約20年のパラグライダー歴があった東軒さんが操縦していたとみて詳しい状況を調べている。梅津さんはパラグライダーの経験がなかった。
https://www.iwate-np.co.jp/article/kyodo/2018/6/30/7594330日
15時41分
1分3秒
30日午前、群馬県みなかみ町でパラグライダーが墜落し、乗っていた30代の男性2人が死亡しました。
午前11時半ごろ、みなかみ町・師のパラグライダー体験施設「グラン・ボレ・パラグライダースクール」の敷地で、2人乗りのパラグライダー1機が墜落しました。
警察などによりますと、この事故でこのスクールに勤務する東軒太一さん(34)と客としてパラグライダーを体験していた梅津友良さん(36)がおよそ30メートルの高さから落下して、病院に運ばれましたがその後、死亡しました。
パラグライダーはパラシュートを開いて風に乗り滑空するスポーツで、東軒さんには20年ほどの経験があったということですが、梅津さんに経験はなかったということです。
ホームページによりますと、このスクールにはインストラクターと客が2人でパラグライダーに乗るタンデムコースなど3つのコースがあるということです。警察は、墜落した経緯を詳しく調べています。
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すさまじい風が住宅の屋根を吹き飛ばし、次々と樹木をなぎ倒した。29日午後、滋賀県米原市で発生した竜巻とみられる突風。通過した町の電線は垂れ下がり、ガラスや瓦などが散乱。平穏な田園の風景は一変し、住民らは雷雨の中で修繕作業に追われた。
米原市朝日の県立伊吹高では午後1時45分ごろに突風が吹いた。渡辺敦事務長は「グラウンドのちょうど真上で竜巻が発生し、渦を巻きながら高さ約30メートルの逆円すい形に発達した」と話し、5分ほど校舎敷地内にとどまったという。
期末テストでほとんどの生徒は下校。教諭らは急いで窓を閉めたが、2~4階の窓ガラスが5枚ほど割れる被害が出た。渡辺事務長は「すさまじい風だった。高さを維持したまま進んでいった」と振り返り、近くに住む市嘱託職員、矢野友子さん(62)も「ものすごい風圧で窓を閉められなかった。空からスズメが落ちてきたり、物が飛び交っていたりして恐ろしかった」と話した。
「辺りが突然真っ暗になり、家がドンと揺れた」と語ったのは同市北方の女性(20)。外を見ると洗濯物と郵便受けがなくなっていた。
別の男性(64)によると、突風が徐々に大きくなり、竜巻のように変化。自宅の2階から見ていた主婦(61)は「蔵の屋根が持ち上げられて飛ばされた」と驚いた様子だった。
同市夫馬の県立「きゃんせの森」では多くの樹木がなぎ倒された。管理する森林組合の女性職員は「台風みたいで、車も飛ばされそうなくらいすごかった。こういう経験は初めて」と話した。
https://www.sankei.com/west/news/180629/wst1806290087-n1.html
29日午後2時ごろ、滋賀県米原市で突風が発生し、飛ばされた物に当たるなどして男女6人が軽傷を負った。市によると、85戸の住宅で屋根瓦が飛んだりガラスが割れたりし、彦根地方気象台は竜巻の可能性もあるとみて調べている。
県警や消防によると、午後1時45分ごろから2時すぎにかけ、110番や119番が相次いだ。けがをした6人のうち、自宅のガラスが割れて両手足を切った男性(73)や、飛んできた物で頭と肘を打撲した男性(87)ら4人が救急搬送された。
市によると、建物被害のほか約360戸が一時停電した。気象台は午後1時51分、滋賀県北部に竜巻注意情報を発表。前線や湿った空気の影響で大気の状態が不安定となり、午後6時13分に13.5メートルの最大瞬間風速を観測した。(2018/06/29-20:26)